宮内庁式部職楽部 雅楽2012年欧州公演


EnglishEnglish   NederlandsNederlands

HOME > 公演プログラム

公演プログラム


英国・エディンバラ公演


オランダ・アムステルダム公演

曲目解説

管 絃
管絃は、唐楽(とうがく)の器楽合奏です。古くは高麗楽(こまがく)でも行われたようですが、いつの頃にか行われなくなりました。唐楽には、壱越調(いこつちょう)、平調(ひょうじょう)、双調(そうじょう)、黄鐘調(おうしきちょう)、盤渉調(ばんしきちょう)、太食調(たいしきちょう)の6つの調子があります。今回は平調の曲を演奏します。

平調音取(ひょうじょうのねとり)
平調は唐楽六調子(とうがくりくちょうし)の一つで、平調(洋楽のE音に近い音)を基音とした律旋(りっせん)の調子です。音取は演奏に先立って奏する短い曲で、音律を整えその調子の雰囲気を作ります。笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・笛の音頭(おんどう)と鞨鼓(かっこ)そして主琵琶(おもびわ)・主箏(おもごと)が奏します。

催馬楽 更衣(さいばら ころもがえ)
催馬楽は、平安時代(794年~1192年)の初めに大陸系の音楽の影響を受けて作られた歌謡で、唐楽器等の伴奏で歌われる民謡を歌詞とする声楽です。天皇の御遊(ぎょゆう)(宮中で催された管絃の遊び)等で演奏されました。鎌倉時代(1192年~1333年)以降に衰微して一旦は絶えてしまいましたが、江戸時代(1603年~1868年)以降に少しずつ再興されました。「更衣」は、最も有名な曲です。もとは民謡から始まり、後に貴族の娯楽音楽になって、芸術的に高められました。特に外来の管絃合奏を伴奏とするようになり、平安時代には盛んに演奏されました。

(歌詞)
  更衣せんや シャ公達(きんだち)
  我が衣(きぬ)は野原 篠原
  萩の花(はな)摺(す)りや シャ公達や

全体として、のびのびした優雅な感じを与える声楽曲です。句頭(くとう)の「更衣」までを主唱者が笏拍子(しゃくひょうし)を打って独唱し、付所(つけどころ)の「せんや」から歌方の全員が笙、篳篥、龍笛、琵琶及び箏の伴奏で斉唱します。

越殿楽(えてんらく)
この曲は、漢の文帝(ぶんてい)(在位前180年~前157年)が作ったとする説と日本で作られた曲であるとする説とがあり、はっきりしたことはわかりません。

同名で、平調(ひょうじょう)、黄鐘調(おうしきちょう)及び盤渉調(ばんしきちょう)の3つがありますが、なかでも平調の越殿楽は民謡の黒田節の原曲とも云われ、その簡潔、優雅な旋律と端正な形式で知られています。

朗詠 嘉辰(ろうえい かしん)
「朗詠」は、優れた和漢の詩に旋律をつけて謡うもので、平安中期に盛んに行われました。

この「嘉辰」は、宮中では、踏歌(とうか)(歌の上手な男女を集めて年始の祝詞を歌い舞わせた新年の行事)の際に歌われたものです。

朗詠では、漢詩を訓読して歌われますが、この詩だけは、音読で歌います。また、この詩は、繰り返し3回歌いますが、2回目の他は、詩の途中から歌い、ともに同じ音程で歌うのも、この曲独特のものです。今回は、二の句のみ歌います。なお、朗詠は、通常、管絃の中で奏されますが、固定された宮音(きゅうおん)(基音)がないため、その時の管絃の調子によって歌われます。今回は、宮音を平調として演奏します。

(詩)
  嘉辰令月歓無極(かしんれいげつかんむきょく)
  万歳千秋楽未央(ばんぜいせんしゅうらくびよう)
  「このめでたいよい日にあたり、私たちの歓びは果てしがない。
   万歳千秋を祝って、私たちの楽しみは尽きない。」

雞徳(けいとく)
この曲の由来については、雞(にわとり)が有するという五徳(文、武、勇、仁、信)を雅楽の音階である五音(宮:きゅう、商:しょう、角:かく、微:ち、羽:う)に当てはめて作った曲であるという説と、いつの時代か漢の南方にあった鶏頭国に戦勝した時にこれを祝って作ったという説がありますが、詳しいことはわかりません。



古くは、正月7日の白馬(あおうま)の節会(せちえ)(平安時代の宮中行事で、左右の馬寮からから白馬を庭上に引出して天覧の後、群臣に宴を賜った儀式)に奏されました。「雞」は「慶」に通じるとしておめでたい曲とされています。

舞 楽
大陸系の「舞楽」は左方の舞(中国系)と右方の舞(朝鮮系)に大別されます。今回は左方の「春庭花(しゅんでいか)」と右方の「納曽利(なそり)」と「陪臚(ばいろ)」を演奏します。

萬歳楽(まんざいらく)
唐の国では、聖王の治世に鳳凰が飛んできて王の萬歳を祝福したと伝えられ、この曲は、その声を楽に、その姿を舞に写したものと云われています。

古くから即位の礼を始め、慶賀の宴などに舞われてきました。

左方の四人舞で、舞人は鳥甲(とりかぶと)を被り、襲装束(かさねしょうぞく)の右肩をぬいで、荘重、典雅に舞います。

春庭花(しゅんでいか)
唐の玄宗皇帝(げんそうこうてい)(在位712年~756年)が春に花の咲くのが遅いことを憂い、桜上で一曲奏すると庭に百花が咲き乱れたので、この曲を「春庭花」と云うようになったとの伝えがあります。

桓武天皇(在位781年~806年)の御代に遣唐舞生の久礼真蔵(くれのまくら)が伝えたとも、また、一説には和邇部太田麿(わにべのおおたまろ)が作ったとも云われています。

この曲は一帖(いちじょう)と二帖(にじょう)に分かれ、一帖で舞う時は「春庭楽(しゅんでいらく)」と呼び、二帖とも舞う時は「春庭花」と呼ばれています。

左方の四人舞で、舞人は蛮絵装束(ばんえしょうぞく)の右肩を袒(ぬ)ぎ、巻纓(けんえい)の冠に挿頭花(かざし)を付け、太刀を佩(は)き舞います。

後半、舞いながら舞台を回る姿は、あたかも花が開いたり閉じたりする様を思わせて誠に優雅な舞です。

納曽利(なそり)
高麗から伝わった舞曲ですが、由来などは不明です。「双竜舞(そうりゅうまい)」といわれ、雌雄の竜が楽しげに遊ぶ姿をかたどったものといわれ、昔は相撲など勝負事のおりに、勝者を讃えて奏したといわれています。

右方の二人舞で、舞人は裲襠(りょうとう)装束を着け、面を被り、右手に桴(ばち)を持って、破および急を舞います。

陪臚(ばいろ)
一名を「陪臚破陣楽(ばいろはじんらく)」といいます。天竺(てんじく)の楽で、班朗徳(はんろうとく)が作ったと云われています。大国の法に「陣の日にこの曲を七返の時に舎毛音(しゃもうのこえ)があれば我が陣が勝つという。」とあります。楽は婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)、林邑(りんゆう)(ベトナム辺り)の僧仏哲(そうぶってつ)が我が国に伝え、舞は聖徳太子が守屋の軍と対した時に、舎毛音があって勝ったのを模して作ったと伝えられています。また、奈良の唐招提寺の陪臚会(へろえ)に奏したと云われています。

右方の四人舞で、裲襠(りょうとう)装束に末額(まっこう)の冠(かんむり)を被り、太刀を佩(は)き、鉾と楯を持って舞います。

破は平調の夜多良拍子(やたらびょうし)(2分の2と、2分の3の混合拍子)で、曲の中程で太刀を抜いて舞います。急は壱越調の新羅陵王急(しんらりょうおうのきゅう)を奏し、曲の途中で鉾と楯を持って舞いながら退出します。

英国・エディンバラ公演
管絃配役
平調音取、越殿楽、朗詠 嘉辰、雞徳

大窪 貞夫、小原 完基、豊 靖秋
東儀 季祥、山田 文彦、久恒 壮太郎
大窪 康夫、植原 宏樹、小山 貴紀
松井 北斗、豊 剛秋
若井 聡、平川 幸宗
池邊 五郎
上 研司
保志 瑞士

舞楽配役
萬歳楽、納曽利、陪臚

舞 人

大窪 永夫、岩波 孝昌、増山 誠一、四條 丞慈
池邊 光彦、大窪 貞夫
多 忠輝、若井 聡、久恒 壮太郎、保志 瑞士



管 方

豊 英秋、松井 北斗、豊 剛秋、小原 完基
池邊 五郎、東儀 季祥、山田 文彦、平川 幸宗
上 研司、大窪 康夫、植原 宏樹、小山 貴紀
安齋 省吾
東儀 博昭
豊 靖秋

●Aプログラム
管絃配役
平調音取、催馬楽、更衣、越殿楽、雞徳

大窪 貞夫、小原 完基、豊 靖秋
東儀 季祥、山田 文彦、久恒 壮太郎
大窪 康夫、植原 宏樹、小山 貴紀
松井 北斗、豊 剛秋
若井 聡、平川 幸宗
池邊 五郎
上 研司
保志 瑞士

舞楽配役
春庭花、納曽利、陪臚

舞 人

大窪 永夫、岩波 孝昌、増山 誠一、四條 丞慈
池邊 光彦、大窪 貞夫
多 忠輝、若井 聡、久恒 壮太郎、保志 瑞士



管 方

豊 英秋、松井 北斗、豊 剛秋、小原 完基
池邊 五郎、東儀 季祥、山田 文彦、平川 幸宗
上 研司、大窪 康夫、植原 宏樹、小山 貴紀
安齋 省吾
東儀 博昭
豊 靖秋

●Bプログラム
管絃配役
平調音取、越殿楽、朗詠 嘉辰、雞徳

大窪 貞夫、小原 完基、豊 靖秋
東儀 季祥、山田 文彦、久恒 壮太郎
大窪 康夫、植原 宏樹、小山 貴紀
松井 北斗、豊 剛秋
若井 聡、平川 幸宗
池邊 五郎
上 研司
保志 瑞士

舞楽配役
春庭花、納曽利、陪臚

舞 人

大窪 永夫、岩波 孝昌、増山 誠一、四條 丞慈
池邊 光彦、大窪 貞夫
多 忠輝、若井 聡、久恒 壮太郎、保志 瑞士



管 方

豊 英秋、松井 北斗、豊 剛秋、小原 完基
池邊 五郎、東儀 季祥、山田 文彦、平川 幸宗
上 研司、大窪 康夫、植原 宏樹、小山 貴紀
安齋 省吾
東儀 博昭
豊 靖秋